こんにちは、mymykenshinです。今日はバレンタインデーということで中一の娘から、義理チョコをいただきました。
手作りチョコをたくさんの友達に配っているみたいで、なかなか美味しかったです。
実はバレンタインデーは祖父の命日でもありまして、他界して随分立つのですが、その思い出を書いていきたいと思います。
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①初めて輪廻を感じた瞬間
私は小学生頃から一緒に住んでいまして、私の家と、叔母の家を行き来する生活でした。一家族が面倒を見るだと厳しいので3日、4日ごとに叔母の家と行き来してもらっていました。
叔母の家は電車で2時間弱かかるので、旅しているような感じで、祖父も運動になっていたようです。
2月になって、叔母の家から帰ってこれなくなりまして。原因は肺炎で入院となりました。そのまま78歳で帰らぬ人となったのですが、2月14日にみんなでお見舞いに行ったのです。
姪つまりひ孫が1歳。その次のはお腹の中でした。
2月14日なのでチョコレートを1歳の子に持たせて、バレンタインチョコだよって。
意識はちょっとありました。
すごい晴れていて、病院の窓からは眩しいお日様が。
姪は、ツルツルのひいじいちゃんの頭をなでなで。
逆光でその光景を見たときに、命が引き継がれる気がしたのです。
姉のお腹には赤ちゃんがいましたしね。
そしてみんなと会えてほっとしたのか、夜に急変して、そのままあの世へ旅立ったのです。
そんな姪っ子も、先日アラサーかよって感じで。時の流れを感じるなと思いました。
②祖父の時代は激動の時代でした。
若いときに結核になって戦地に行かずに済みましたが、戦中は広島の呉市で教鞭をとっていました。呉で戦艦大和も見たと言っていました。
そして戦後は郊外の旧制中学で教鞭をとっていたのですが、広島で原爆が落とされて、被爆した元芸大学長の平山郁夫氏も避難してきて教えたそうです。
祖父は県内でも有名な数学の教師でして、戦後間もない貧しいときに、高校で優秀な生徒を自宅に来させて、特別授業をしていました。もちろん無料です。
誰もが食べ物にも困る時代でした。
その生徒達は、一流大学に次々に合格し、医学部教授になったり、日本でのゼネコンの副社長まで上りつめた人もいて、我が家には、そういった方々から、毎年たくさんのお中元とお歳暮をいただいておりました。
そういうところは本当に尊敬できるなと今でも思っています。でも教師以外の身の回りのことは本当にできなくて、困った爺さんでもありました。
③今の教育制度は本当に良いのだろうか
そんな祖父が生前言っていたのは、昔は教師が偉い職業であったことは、ありがたかった。
だから生徒たちにやってあげられた。
今だとエコひいきだかと言われただろうと。そして教師が威厳がなくなったから、教育現場はダメになった
そんなことを言っていました。確かに今の教師達は保護者や生徒の反響にビクビクしながらやっている。
ペアレントモンスター対処とか。そして忙しさに忙殺されて。教師にしかできない本当の価値ある仕事がおざなりにしているように思う。
教師をダメにしているのは世間であるように思えて仕方がない。
そんなことを考えています。
ちなみに祖父の最後の生徒は私でして、小さいころ、よく家庭教師をしてもらいました。おかげ様で、そこそこ立派にやっています(^^)。
ただ最後の弟子は不肖の弟子だったように思えます。
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